こんにちわ!エネリンだよ。
9月にお彼岸っていってご先祖様のお墓のおまいりをするんだよ。
エネリンはアンパンマンがすきだけど、このときにお仏壇にアンコでくるんだおもちをおそなえするんだけど、
これって一体なんだろう?調べてみたよ。
お彼岸におはぎ,ぼたもちを供える理由や違い
お彼岸はおはぎ(ぼたもち)をお供えする伝統があります。
お彼岸にお墓参りをしおはぎをお供えし、仏壇にもおはぎをお供えしたりとお彼岸のお供えの定番ですが、このおはぎの由来は仏教とは別にあるということをご存知でしょうか?
今回はお彼岸におはぎをお供えすることに関する豆知識や、おはぎとほぼ同じ見た目で名前が違うぼたもちという和菓子との違いなどについて解説いたします。
春のお彼岸のぼたもちと秋のお彼岸のおはぎ
春のお彼岸と秋のお彼岸と二度やってくるお彼岸ですが、「お餅をあんこで包んだ和菓子」として一般に知られるおはぎは春彼岸でお供えするとぼたもちと呼ばれ、秋彼岸でお供えするとおはぎと呼ばれます。
このおはぎとぼたもちはそもそも同じものだった物を季節によって名称を変えました。
春の彼岸の時期に旬を迎える牡丹の花から、牡丹餅と書いてぼたもち。
秋の彼岸の時期に旬を迎える萩の花から、御萩と書いておはぎ。
それが「お餅をあんこで包んだ和菓子」をおはぎと一般的に呼ぶようになりますが、地域によっておはぎとぼたもちには区別があったり、和菓子屋さんでも区別があったりします。
簡単におはぎとぼたもちの違いにはどんなものがあると言われているかご紹介します。
おはぎとぼたもちの違い
おはぎとぼたもちの違いについては、マナー本や日本の伝統についての解説などを見ても様々な違いがあると言われていますし、地域や和菓子屋さんによっても違いがあると考えられるのでここにあるのはあくまで一般的な説です。
「おはぎがつぶあん」で「ぼたもちがこしあん」説
最も一般に知られるのは、おはぎとぼたもちのあんこが粒あんかこしあんかという説です。
この違いが生まれた原因はあんこの収穫をするのが秋で、収穫したてで皮が柔らかいので粒あんにしておはぎを作ります。
一方で、冬を超えて皮が固くなった小豆を利用して作るぼたもちは、皮をそのまま使うことができないことから、皮を剥いでこしあんにしたと言われます。
ただこの違いは多くの和菓子屋さんでは見られず、粒あんもこしあんも「おはぎ」として販売しているのがほとんどです。
また春彼岸の間にぼたもちを販売する大手の和菓子屋さんでも粒あんもこしあんもぼたもちと呼んだりと一定しません。
「おはぎが小ぶりの俵型」で「ぼたもちが大きい丸型」説
おはぎとぼたもちの違いで次に知られるのは、大きさと形です。
前述の通り、同じお餅をあんこで包んだ物ですが、それぞれ名前の由来となる花の形に合わせて大きさや形を変えているといわれます。
他のおはぎとぼたもちの違いに関する説
他にも地域などによって様々なおはぎとぼたもちの区別については見られます。
その一つが皆殺しと半殺しという物騒な違いです。
この違いは餅米をお持ちにする時に米粒を完全につぶしたお餅にするのか、米粒が残った状態のお餅にするのかで呼び名が変わります。
「おはぎがはんごろし」で「ぼたもちがみなごろし」と呼ばれるのですが、お彼岸の由来や日本人がお米一粒一粒に神様が宿るなどと迷信を言って大事にしていたことを考えるとこれは一般的な違いとは言えないでしょう。
他にもきなこをまぶしているものがおはぎと呼びあんこをぼたもちと呼ぶなど様々なありますが、多くの場合今ではほとんどおはぎと呼びます。
そのため、ここからはおはぎとぼたもちと呼ぶのではなく、同じものとして統一しておはぎと呼びます。
お彼岸におはぎをお供えする理由・由来
お彼岸におはぎをお供えするようになったのは江戸時代頃とされます。
おはぎに利用する小豆の魔除けの効果
日本では小豆は魔除け・厄災除けや無病息災の力があるとして、お彼岸や小正月に食されて来たものです。
この魔除けの効果があることからおはぎに小豆が利用されるようになったと言います。
なぜ魔除けの効果がある小豆を利用するようになったかと言うと、お彼岸が春のお彼岸・秋のお彼岸と二度やってくることにも関係しています。
お彼岸にお墓参りやお仏壇におはぎをお供えし、先祖供養をするようになったのは、春のお彼岸と秋のお彼岸の中日の春分の日と秋分の日に太陽が真西に沈むことと関係します。
お釈迦様の入滅(亡くなられた)時、お釈迦様は西に顔を向けられていたといわれます。その顔の向きの理由はその先に仏の世界、つまり彼岸があるからだと考えるようになります。
日本に仏教が伝来すると、日本ではこの彼岸という西にあるあの世に向かって太陽が沈む春分の日と秋分の日はあの世の彼岸とこの世の此岸が近づく日と考えるようになります。
あの世に近づく春分の日と秋分の日を中日に、前後3日ずつの計7日間をお彼岸と言い先祖供養をするようになるのですが、あの世と近づくことから魔除けの力がある小豆を使った食べ物のおはぎを江戸時代頃からお供えするようになったと言います。
ちなみに、その他にも様々な説があって、おはぎには砂糖を利用するのは江戸時代には高級品だった砂糖をお供えすることは先祖への感謝の気持ちを込めてということを表現しているとも言われます。
本来は日本古来の祖霊信仰・農耕文化
お彼岸におはぎをお供えして先祖供養をするという文化は仏教の根付いている世界の多くの国を見ても日本だけの文化です。
そもそも仏教では死んだ人が仏の世界である彼岸に行くなどとは考えておらず、彼岸=あの世と考えるのも日本だけです。
ではなぜお彼岸に先祖供養をする文化が日本があるのかと言うと、春分の日と秋分の日前後に行っていた豊作を願って神様や祖霊にお供え物をする儀礼が後に仏教の行事となっていたことが考えられます。
後に太陽が真西に沈むからあの世が近くなって…という解釈が行われるようになりますが、そもそも春のお彼岸と秋のお彼岸と言って春と秋にするのは農業の始め(農耕の準備)と農業の終わり(収穫の時期)だからと言われます。
一年間の豊作を願って、田の神や祖霊にお供え物をし、一年間の豊作の感謝のために田の神と祖霊にお供え物をするという文化が日本にはありました。
後に神道では死を忌むことから、仏教が先祖供養の役割を担うようになり、今では七五三は神道行事、葬儀などは仏教行事とごちゃごちゃになるようになります。
お彼岸はこの仏教が先祖供養の役割を担うようになったことから発展し今に至りますが、お彼岸のお供え物のおはぎはそのルーツをたどると、日本古来の祖霊信仰・農耕文化にあるのです。
ちなみいお彼岸の期間である7日間というのは、仏教の六波羅蜜という教えに由来していて、様々な信仰が混ざって今のお彼岸となっています。
おはぎはお彼岸のいつ頃お供えするか
お彼岸のいつお墓参りをしたり、お仏壇におはぎをお供えするかについては厳密に決まりはありません。
春のお彼岸と秋のお彼岸のそれぞれ中日(春分の日と秋分の日)にお墓参りをするのが良いとも言われますが、他の日であっても特に問題ありません。
お彼岸のおはぎは手作りする家庭も
ご家庭によってはおはぎを手作りする家もあると思います。
そういった伝統がある家にはその家独自のルールなどもあるのかもしれませんが、ここでは一般的なおはぎの作り方について簡単にご紹介します。
お彼岸のおはぎの作り方
おはぎを仮にあんこのスタンダード4つにきなこをまぶす4つの形8個作るとして、簡単な作り方の説明です。
材料は以下の通りです。
- お米 1合(もち米100%でも、うるち米を混ぜるもお好みで)
- 小豆 150g
- 白双糖 150g~210g
- 塩 少々
- きなこ 大さじ3杯
- 砂糖 大さじ1杯
- 塩 少々
作り方は以下の通りです。
- お餅を作ります。餅米、うるち米好みのお米を混ぜて砥ぎ、その後砥いだお米はざるに上げて30~1時間おく。
塩を小さじ1/3加えて普通に炊く
炊き上がったら米をすりつぶしてお餅にする - 小豆あんを作ります。小豆を水で洗い、小豆を鍋に入れ全体が水に浸るくらいにして中火で火をかけ沸騰直前で湯を捨て水にさらし小豆の水けを切って鍋に戻し、被るくらいの水を加えて中火にかけ、沸騰したら弱火で1~2時間湯出る。
小豆はよく水を吸うので絶えず水に浸るようにする。
※小豆は一晩水につけておくや、小豆を沸騰してから放置するなど様々な餡の作り方があるのであくまで参考に - 小豆が指でつぶれるほど柔らかい状態になったら、小豆とゆで汁に分けて、フードプロセッサーで豆を入れ、ゆで汁も入れて撹拌する。
- 上記で撹拌したものを鍋に入れて白双糖、塩を入れて弱めの中火でヘラで練りながらねっとりとして艶が出てくると完成
- 一般的なおはぎは上記のお餅をあんこで包んだ物にし、きなこのおはぎはあんこをお餅で包み上からきなこをまぶします。
こちらのページを主に参考にしながら一般的なおはぎの作成についてご紹介しました。
参考:https://www.orangepage.net/recipes/detail_137816
引用元:
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