こんにちは!
エネフィだよぉーん♪
みんな、『渋沢栄一』って、知ってるかな?
実は静岡県にゆかりのある人なんだよ(●^o^●)
今日は、『渋沢栄一』さんをちょこっと紹介!
どんな人?
1万円札と言えば、今は福沢諭吉だよね!
でも、5年後の2024年には、新1万円札として『渋沢栄一』に変わるよ!新しい顔になるんだね!!
ところで、渋沢栄一さんとは、どういった人なのかなー?
明治期に資本主義の本質を見抜いた日本資本主義の父と呼ばれている人だよ!
天保11(1840)年に埼玉県深谷市に生誕。そして約500もの企業の設立や運営に関わり、また約600の教育期間や社会公共事業の設立・運営、そして民間外交に力を尽くした人なんだって!
どうして静岡がゆかりの地なの?
1867年11月、徳川慶喜は大政奉還を建白。新政府にヨーロッパから帰国を命じられ、静岡に謹慎していた慶喜と面会。慶喜より「これからはお前の道を行きなさい」との言葉を受けたよ。
明治2年(1869年)、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため、静岡に商法会所を設立。しかし、大隈重信に説得され、同年大蔵省に入省するよ。
大蔵官僚として、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わり、退官後、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(第一銀行、第一勧業銀行を経て、みずほ銀行)の頭取に就任。
旧王子製紙製品倉庫
日本初の木材パルプ工場
王子製紙は、渋沢栄一の力によって明治6年『抄紙(しょうし)会社』として創立され、本社を東京の王子に置き、明治8年に王子工場を操業。そして明治22年、日本で最初の木材パルプ工場が浜松市の気田(けた)に建設されたんだよ!!
この地を流れる気田川上流には、当時、原料となる原生林があり、また材料や製品の運搬に豊富な水量の川が使えること、さらに水力発電施設の建設が可能だったことから建設場所として決定!
最盛期には気田工場に300名以上の従業員がいたけど、大正期には原木を取り尽くし、大正12年に閉鎖となったよ。
現在残るのはレンガ造りの旧製品倉庫のみで、工場閉鎖後には学校の講堂、事務所、図書館など様々な用途に使用されてきたよ。
今は、県指定文化財の建物になり、春野中学校の敷地内に建ち続けて、内部を見学することができるみたい!
所在地 | 静岡県浜松市天竜区春野町気田380-2 |
開館時間 | 9時から16時頃まで(詳細は問い合わせ下さい) |
休館日 | -(春野中学校の開校にあわせて見学可能) |
入館料 | 無し |
駐車場 | -(春野中学校の校内駐車場を利用可能ですが,学校活動に支障のないようにして下さい。) |
問合せ先 | 浜松市春野文化センター 053-989-0200 |
渋沢栄一の人物像は?
「率直にいって私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないということを見抜いていたのである」。
すごいすごい!歴史に残る人だってことがわかるね!
渋沢栄一の名言・格言
もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である。
人は全て自主独立すべきものである。自立の精神は人への思いやりと共に人生の根本を成すものである。
商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。
どんなに勉強し、勤勉であっても、上手くいかないこともある。これは機がまだ熟していないからであるから、ますます自らを鼓舞して耐えなければならない。
ただそれを知っただけでは上手くいかない。好きになればその道に向かって進む。もしそれを心から楽しむことが出来れば、いかなる困難にもくじけることなく進むことができるのだ。
信用はそれが大きければ大きいほど、大いなる資本を活用することができる。世に立ち、大いに活動せんとする人は、資本を造るよりも、まず信用の厚い人たるべく心掛けなくてはならない。
一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。
浜松市には、まだまだもたくさんの偉人や歴史があるみたい!!
歴史を知るって、楽しいな!
また、新しい発見を見つけたら、紹介するね(^^)
引用:癒しツアー
引用:ふじのくに文化資源データベース